いろいろな話27


色褪せる?

どんなステキなことでも、繰り返し体験すると当初の感動や楽しさは色褪せてしまいます。

先日、noriさんから北杜夫の本をたくさんいただきました。
早速読んでみました。
しかし、昔はとても面白かった小説の続編がどうも、それほどではない。
「まあ、あの時は幼かったからな〜。」などと思いながら次の本にかかった…
すると、「おや?面白い!?」
特にその本の内容が優れているわけでもないのに…

実は、その時読んでいたのは小説ではなくエッセイ(随筆)でした。
「はて?その違いはどこから来るのかな?」
そこでこう考えてみました。

小説とは、架空の物語であり、そのストーリー性を楽しむもの。
よって、その書かれた時代背景が色濃く出てくる。
一方随筆は、作者の心情を中心にして、その感受性を楽しむもの。
この場合は、その作者の信念なりが色濃く出てくる。
つまり、小説はどんなに頑張ってもいつかは古臭く、陳腐になってしまう、
しかし、エッセイはその感性に共感している限り色あせることはない。
だから、どうしても小説は随筆に比べて、賞味期間は短くなってしまう。
(極端な例だと、「源氏物語」と「枕草子」)
(「源氏物語」では、「おいおいそんなんないやろ〜!」とつっこむが、枕草子」では、「うんうんあるある!」とうなづいたり出来る)
ただし、一旦ハマってしまったら小説はエッセイの比ではなく、
人によっては、その後の行き方を変えてしまうほどのパワーを持つ。

世の中の読書家には眺めていると、小説派と随筆派に分かれるようで、私はどうも随筆派。
小説も読むけれど、大抵は1度しか読まない。
しかし、気に入った随筆は何度でも、それこそ毎年でも読み返しています。

ここまで書いてみて、表題の「色褪せる」をもう一度考えると。
一時激しく輝き、その後、輝きがだんだんと減っていく状態だと考えられないでしょうか?
話が前後しますが、小説派はその一瞬の大きな輝きを愛する者達。
随筆派は鈍くとも、輝き続けるその光の質を愛する者達と言い変えてもいいですよね。

こう考えると似たような話があることに気付きませんか?

そう、バイク、車、楽器他といったほかの趣味にも当てはまりませんか?
小説を「性能、機能」、随筆を「使い心地」と読み替えれば同様のことが言えませんか?
「性能、機能」が優れているものは、それが最先端である限り、何者にも負けません。
しかし、一方で更に「性能、機能」が優れるものが現れると、とたんに優位が崩れます。
また反対に、「使い心地」の良いものは、どんなに「使い勝手」のよいモノが現れてもその優位は崩れませんが、
使っていて、便利で楽かというと、たいていはそうでなく、不便で面倒臭いものがほとんどです。

ここでもどちらを好むかは人それぞれ。
もちろん、どちらが良い悪いということでもないし、
そんなに簡単に分けれる話でもありません。
「使い心地」を重視しつつ、「性能、機能」も求めるなんてのはあたりまえですもんね。

私はもちろん「使い心地」を大事にします。
これは昔からですが、最近とみにこの傾向が顕著です。

みなさんはどう?



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